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古代から現代へ小さな駒の、偉大なる物語  〜Tendo Shogi Museum〜

TEL.023-653-1690 〒994-0034 山形県天童市本町1-1-1

Q&A よくある質問

将棋のルーツと伝来について

  
 将棋の原型は、古代インド ガンジス川流域で楽しまれていた盤上遊戯チャトランガと言われています。このチャトランガの成立時期は諸説ありますが、現在は5世紀ごろという説が有力です。このチャトランガが東に伝わり将棋になり、西に伝わったのがチェスになりました。
 日本への伝来にも諸説ありますが、中国韓国ルートと東南アジアルート説があります。平安時代1058年の記述に最古の将棋の記述を見ることができます。同年和暦とともに最古の将棋駒も出土しており、この時期には伝わっていあたことに間違いないと思われます。

なぜ天童で将棋駒づくりが盛んになったのか

  
 天童の将棋駒づくりは、天保2年(1831年)織田藩が、高畠から天童へ陣屋(現在の田鶴町)を構えたときに、将棋駒の制作技術も一緒に導入されたのが始まりと言われています。天童織田藩の幕末の重臣 吉田大八(1832年〜1868年)によって当時財政難であった武士の内職として奨励したことで、その基礎が築かれました。
 その後、戦争中に慰問駒として。需要が高まりました。家内制から機械化に移行し、大量生産ができるようになりました。天童といれば「将棋」と言われるようになり、タイトル戦なども開催され、やがて高級駒もつくるようになります。平成8年には国の伝統的工芸品の指定を受けています。


詳しくは、天童市ホームページ冊子天童と将棋駒(PDF 3332KB)

将棋の形はなぜ五角形

  
 日本で発見された最古の駒も五角形でした。なぜ五角形かはっきりした理由はわかっていません。しかし、進む先を示す形であることは異論のないところです。日本に将棋が伝わった時に、僧侶が将棋に触れたと考えられることから、仏教の寺で使われる塔婆の形に参考にして作ったのではないかという説があります。
 
なぜ五角形になったかは諸説ありますが、五角形であることで、日本将棋の独自のルール「とったら使える」が可能になります。チェスや中国韓国将棋は相手の駒と自分の駒が違いますが、日本将棋はまったく同じものであり、この独自ルールが可能になります。

将棋の日
 

 江戸時代、将棋好きであった徳川家康は、将棋(本将棋)を囲碁とともに幕府の公認としました。延宝八年(1680年)頃からは公務として将軍御前で指す「御城将棋」が行われるようになりました。八代将軍徳川吉宗の享保元年(1716年)から、年に1度、旧暦の11月17日に「御城将棋の日」として御城将棋を行うようになりました。 これにちなみ日本将棋連盟は、1975年に11月17日(新暦)を「将棋の日」と制定し、その前後に全国各地持ち回りで「将棋の日」イベントを開催しています。
 天童市においても「将棋の日」のイベントが何度か行われています。


なぜ将棋という名称になったのか

 日本に将棋が伝わったのは奈良・平安時代。中国から伝わり、「象戯(しょうぎ)」と呼ばれていました。それが、安土桃山時代に「象が戯れる」では、武士がするのに適当ではないとなり、大将の「将」の字に変わり、その後、宝暦・元禄の 時代に「戯」から「棋」になったといわれています。

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天童市将棋資料館

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